無題1

どうだって良かったはずだった。もう少しだけ子どもだった頃は。見たいものをみて、読みたいものを読んで、関わりたい人と関わった。時間は自分の為、使いたい人の為に使った。それで良かった。それだけで良かった。良いかダメかなんて事を考えることさえなかった。それで成立していた。わざわざ強く望む必要もなかった。友達とか才能とか愛とか。何かを、誰かを羨んで恨むことも無かった。きっとあれが幸せだった。悩みもイヤなこともあったけれど、例えば、人が、周りの世界のことが怖くて怯えながら歩くことはなかった。いつからだ。どうでもいいことがどうでも良くなくなったのは。理由になんて考えたくなかった。

結局、幸せな状態なんて、そのときには気づかない。自覚できる一瞬、少しの間の気持、誰もが羨むようなものだったならそうでないかもしれない。けれど、恒常的な幸せは、今の自分が過去の自分を、未来の自分が今の自分を羨ましく思う、そこからだけ、見つけられるようなものに思える。だから、幸せだなんて特に感じてない、気付いてなんかないしだからこそ認めもしないんだろうけど、君は幸せだと。

わからないなんて、あんまりじゃないか。

 

 

幸せとは何なのか自体を語りたいわけではなかったので、タイトルは放り投げました。

最近、わるくちと不満の最後に、ばか。とつけるのが自分のなかで流行っているんですが、伝える相手に向けて言っているような気分になれるので、ほんの少しだけ心が晴れます。すべてそういう気持ちです。

人間関係には、当たり前の差別が存在する

社会では、"みんな平等"にしよう、そうなっている。そうしようとしている。男女平等、どの人種も平等、等。男性と女性で明確な理由も無い区別(差別)により、扱いが違うのは理不尽だし、特定の人種が低く扱われるのも、おかしい。実際に差別をする人間以外はみんなそう思うだろう。差別のない、平等な世の中になって欲しい、私もそう思う。

 

ふと思う。日常の人間関係ではどうだろうか?私達は、家族・恋人・友達・知り合い・他人というように人を分けて考えている。(他にも先輩や後輩、仲間などもっと細かい分類はあるが)

場合にもよるだろうが、多くの人が家族や恋人を友達以上に特別に思っているだろう。そして他の人よりも優しくしたり、他の人よりも優先し、特別な扱いをする。いたって普通のことだ。これも家庭によるだろうが、家族とは長い間一緒に過ごし、自分に良くしてくれる血の繋がった人達である。また、恋人とは自分と共にいてくれて優しくしてくれるような存在だろう。特別な繋がりなのだから、このような人達を特別視するのは当たり前だ。

では、差がもっと曖昧である場合はどうだろうか?

たとえば、恋人は自分にとって、良くしてくれる特別な存在だが、友達も同じくらいに自分のことを思ってくれている場合は?どちらをより大切にし、どちらを優先する?これも人によるのかもしれないが、恋人を優先したい、そう思う人の方が多いのだろう。その友達が自分のことをとても大事に思おうが、恋人の方には、恋愛感情というものがあるのだから。恋愛感情は友人への"好き"よりも強いものなのだから当たり前だ。.....友人の好きと恋人の好きは別?どちらも大切?

でも大抵の人が順位はつけているはずだ。優先順位なんてどちらも同じだ、としている人もいるかもしれないが、多くは前者だろうという前提で話を進める。世間一般だって、恋人優先して当たり前、そんな認識がある。

人は"好き"の度合いで人を分ける。どちらも同じように自分を大事に思い、良くしてくれていようが、だ。また、「好きな人」と「それ以外」でも「恋人」と「友達」のように扱いの差がある。こちらの場合は、好きな人が自分を大事にしていなくても、人はその人を大切にしたがる、優先したがる。好きだから、好きになって欲しいから、これも普通のことだ。

これは、友達という括りの中でも言えることだ。扱われ方は同じ、もしくは違いがあっても、自分も全くその通りの扱い方を返す訳では無い。もちろん、良くしてもらっているのならば自分も良くしたい、そういう気持ちはあるだろうが、それでも差は生まれる。印象が良い、好きだと思った方に目がいってしまう。仲良くしたい、良く思われたいと思う。

人間はそういうものだ。自然に差別をする。それが当たり前になっている。極端なことを言うと、いじめはこの差別が悪い方向に働いたものではないか。

 

差別と呼ぶなんてお前の頭がおかしい、当たり前の感情だ、そう思うかもしれない。私も同じように人を分けてしまっている。けれど、私は当たり前として片付けることは出来ない。気持ちでは自然にそうしてしまうのに、頭では理解ができない。本当はそんなふうに分けたくなんかない。

みんな平等に優しくする人には、特別に思ってくれる人は現れない。そんな言葉を何度か聞いたことがある。確かにその通りだとは思う。私も恋人や友達に特別に扱われたい、そういう気持ちはある。だけど、差をつけることを拒もうとする自分もいる。

ここまで書いたが、何故自分がそう思ってしまうのかはわからない。ただ、抵抗があって、他の人たちの振る舞いにまで少しの嫌悪を感じてしまうことが少なくない。決して多くの批判がしたいわけではない。

友人や、特定の誰かから愛されるという実感を感じる事が出来ていないからだろうか。偽善者だからだろうか。未熟だからだろうか。それとも頭がおかしいのだろうか。

頭がおかしいのであればそれでいい。本当は当たり前に感じられるようになりたい。こたえがあるのなら、教えて欲しい。皆と同じになりたい。そう思うことばかりだ。

あの日、あの時の

中学~高校生の頃、「子どもの頃~」という言い方をたまにしていました。意味不明かもしれませんが、そう言ったあと、ある時「今も子どもだし、そんなに生きていないのになんか少し恥ずかしいな...」と思ったことがあります。

今も「子どもの頃~」という言い方をする時になんだか違和感を感じてしまうのですが、そのあと、「もう大人だった.......いつのまに...」と思うようになりました。いつのまに.....。

という事で、"子どもの頃"にちなんだ話をしたいと思います。

 

 

 

 

 

あの日、放課後、友達を傷付けた。今の私は使わない使えない言葉であり、使ってはいけない言葉だったが、当時は口に出すことに抵抗がなかった。周りの子は流石に言い過ぎだという雰囲気だったが、それ以上何も言ってこなかった。だから、良くない言葉を使った事は自覚していたが、後悔も反省もほとんどしていなかった。 それでも誰かに嫌われるのは嫌だ。数日後のその子の様子はいつも通りだったから、少しほっとした。自分はちょっと強く言っただけで悪いことなんてしていない。そうだ。でも、なんとなく心に引っかかったまま何年も経った。あの時のような言葉は、簡単に言ってはいけないし、言う訳がない。自然とそう思えるようになってから、時々あの日を思い出すようになった。「あそこまで強く言う必要はなかった。」あの日の自分の行動が、自分を縛る。人に優しくすると、あの日を思い出す。あんな事を言った自分が何食わぬ顔で、人に優しくするのは当たり前かのような態度をとっている。生まれてから今までずっと、酷い言葉を誰かに投げつけた事なんて1度もないかのように。「いじめをしたり、酷い言葉を言う人間は最低の人間だ。」そういう言葉を見て、純粋な気持ちで「そうだ、その通りだ」と口にする事は、多分私にはできない。自分も罪を犯したくせに、それを隠して他の人間を叩いてるようなものだ、そんなような罪悪感が浮き出てくる。誰にバレる訳でもないのに、怖い。だから何も言えない。優しい人間のように振る舞う自分はニセモノみたいだ。酷い言葉は絶対に言わないような顔をして。『聲の形』という映画を見た時、私は主人公を責める気持ちになることが出来なかった。

それからまた何年か経って、以前傷つけてしまったその子に、ある人の事を尋ねたことがあった。その時、その子は「そんなことがあったんだ。でも、(私が尋ねた事については)知らないなぁ。」という言葉と共に、心が痛むほどの優しい言葉をかけてくれた。

(私は君にあんな事を言ったのに、君はそんな優しい事を言ってくれるのか。)

本心ではなく、落ち込む私をなだめる言葉だったという可能性もあるけれど。

そのまたしばらくしたあと、その子が「知らないなぁ。」と言ったことが嘘であるかもしれない事がわかった。本当は隠していたのか....そう思い、瞬間、酷く気分が悪くなった。同時にあの日の事を思い出した。酷く後悔をした。怖くなった。あんな事を言わなければ。あの日には戻れない。 それから、今まで以上に、あの日に縛られるようになった。

誰かに酷い事を言ってしまった、そんな経験は多くの人にあるものなのかもしれない。だから、そんなにずっと気にしすぎる事はない。そう思おうとしたこともある。何故、こんなに縛られているのか、そう考えたこともある。

それから、思い出していった。それ以外にも、散々人のことをバカにしたり、今では考えられない態度をずっと前にとっていたことがある。いじめまがいの事だと気付かないまま、他の人と同じように笑って、遠ざけていたことがある。他にももっと、あるかもしれない。

そんな私はもう、「優しい人」にはなれない。正義のキャラクターに憧れたりもしていたが、そんな風にはなれない。

たとえ誰かが許しても、そんな自分を認める事はできない。

同じような経験が多くの人にあったから気にするな、なんて、私には無理だった。相手の中にそれが残り続けているかどうかはわからない。けれど、言葉や行動は、自分の中に残り、積み上がっていく。私にとってはそういうものなのだ。

私には、傘木希美がいなかった。

私の前には、傘木希美は現れなかった。

これは今年の4月にリズと青い鳥を見た時の話だが、早速映画に全く関係の無い話をする。小さい頃の私は、極度の人見知りで、気弱で、自信がなく、失敗するのが極度に怖いという子どもだった。今もそういったところは変わらないのだと思う。友達と呼べる子はほとんどいなかった。同年代の子と何を話したらいいかわからなかった。得意なことは一切なく、鉄棒、鬼ごっこ、お絵描き、かけっこ、おままごと、なわとび、同年代の子たちがする遊びは全てと言っていいほど能力的に苦手だった。授業参観や運動会が大嫌いだった。友達が少なくて一人ぼっちの自分を見られたくないから。たまにクラスの子と話せても、家族の前では見せない自分の姿を見られるのが恥ずかしかったから。競走は毎年ビリだったから。クラスの子達に親を見られて何かを言われたり、目立つのが嫌だったから。幼稚園の運動会では、準備体操を音楽にのせて行っていたが、幼稚な音楽にのって準備体操をしている姿を家族に見られるのが恥ずかしく、ほとんど体を動かさなかった。やらない方が目立つのは気付いていたのかいなかったのか。

小学校に上がる時、幼稚園で少し仲良かった子が一緒の学校に入る予定だったが、家の都合でそれがなくなってしまった。誰1人も知らないまま小学校に通うことになった。友達はそれなりにできたが、魔法にかけられたように突然活発な子どもになった訳ではない。、何故かは覚えていないが、気付けば女子よりも男子と仲良くしていた。女の子の遊びや会話をするのが苦手だったからかもしれない。失敗したり、こいつは能力が低い奴なんだと思われるのが極度に怖いという性格は全く変わらず、勉強についても何に関しても、わからない・できない事がバレたくないという気持ちから口数が少なくなりクールなキャラというのが定着していた。恥ずかしさから、冗談も決して言わなかった。何故か男子と一緒に女子をよくからかっていた。今思えば心無い事をたくさん言っていたと思う。最低な子どもだった。

小4以降、女子グループと男子グループに別れるような年頃になったので、私も男子グループに混ざることができなくなり、女子の友達が増えていったが、基本的な部分は変わらなかった。

中学に上がった時も、友達は1人もいなかった。小学生の時に引っ越した際、友達が多く通う中学は学区域外になってしまい、学区域外からの抽選となったのだが、運悪く落ちてしまった。あとから、抽選に落ちる確率は低く、次の年は1人も落ちた人がいなかった事を知った。やはり薄が幸いのである。ちなみに、ずっと不登校だった人は抽選に落ちなかったらしい。失礼だが、少し笑えてしまう。中学に入ってもほとんど何も変わることがなかったが、1年くらい経ったあと、所属していた部活が知らぬ間に学年で有名になっていた。変なやつらの集まりだと。変なやつらと言ってもいじめ的なものではなく、陽キャと呼ばれる方々のことを言っていて、私は当たり前に陽キャではないのだが、その陽キャ部員達とも交流があったので、何故か名前が色々な人に知られていた。

その頃からだ、みんなが周りにたくさん集まってきて楽しそうにしている人が、とてつもなく羨ましくなったのは。私にも同じ事ができるのかな、と思ってしまったのは。

それからは、知り合い程度の人相手には無理だったが、仲のいい友達のといる時は"キャラ"を作るようになった。ふざけたり、冗談も言うようになって、みんなに笑ってもらえるようなキャラを必死に演じた。

高校に上がった時は、中学の友達が1人だけいた。その友達とは今まで同じクラスになったことがなく、ふざけている自分を見られた事がなかったのと、1人友達がいるのなら最初から無理に頑張る必要はないと思ったので、"キャラ作りを頑張る"ことはしなかった。失敗して笑われるのが怖いから、わからない事やできないことを隠す、プライドの高い自分のままだった。

2年生になって、友達とも離れ、そして全く友達が出来なかった。一人ぼっちだった。最初のお昼ご飯は一緒に食べる人がおらず、「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」のもこっちのように"ぼっち飯"ができる場所もなかったので、机に突っ伏して具合が悪いフリをした。これは中学3年の時、同じく友達ができなかった時に使ったワザだ。その時は何人かの友達()が、私のことを心配して声をかけてきた記憶がある。なんとも言えない気持ちになった。次の日は流石に同じ手は使えず、中学の頃からの友達に声をかけたら、「クラスの子と一緒にいるから無理」と断られた。最初はとてつもないショックを受けていたが、向こうからすると他クラスの友達を友達に紹介して許可を得なければならないので、そりゃそうか、と仕方なく戻ることにした。しかし、一緒に食べる人がいない。どうしよう。便所飯をするか?と本気で考えもしたが、1年生の頃の別の友達に声をかけてみることにした。そこに行くまでに、あまりの行き場のなさに涙目になっていた。以前、その子が別のグループに"ハブ"られた時に、私のいるグループに迎えたことがある。だからその子は断る事が出来なかったはずで、数人の友達と一緒に食べていたようだったが、私を受け入れた。数週間後か1ヶ月程度お昼ご飯の時はそのグループに入れてもらっていた。居心地は悪かった。なんとか打ち解けられないかと思ったが、私に気を遣うような雰囲気が毎回漂い、本気で仲良くしようとも思っていないようだった。ほとんど喋らない日が続いた。途中からは申し訳なさから、お金はあまり持っていなかったが、みんなで食べる用の差し入れのお菓子を持っていくようになった。ご機嫌をとる為にお金を使って、一体自分は何してるんだろう。そんな気持ちになった。その後、ある授業でクラスの子に話しかけられ、お昼もそこで食べられることになった。みんなが私とちゃんと話をしようとしてくれて、とても嬉しい気持ちになった。もう絶対一人ぼっちにはなりたくないと思った。

そんな気持ちからか、また"キャラを作る"ことを始めた。私の周りに集まってくれたら、もうあんなに辛い思いはしなくて済む。だから笑ってもらいたかった。それしか思いつかなかった。それしか出来なかった。中学の時より、笑って貰えることが増えた。そうしていたら、"いじられキャラ"と呼ばれているような立ち位置になっていた。そこから"いじられ"る事が増え、嫌な思いもするようになった。でも、戻ることは出来なかった。それが定着した後は、戻ることなど許されなかった。いつの間にか、頑張りなどしなくても、そんなキャラが自然に出るようになっていた。「もうこんな扱いをされたくない」「疲れた」「他の人と同じように普通に接して欲しい」心の中ではそんな気持ちがどんどん大きくなっていったが、それ以前はどう振舞っていたかのか思い出せなくなっていた。口数が少なくて、冗談も言わず言われない、当たり前にいじられることもないクールなキャラとして扱われていた、そんなことしか分からなかった。思い出して、そのように振舞おうとしても、頑張って作って演じていたはずのキャラが出てしまう。もはや"キャラを演じている"状態なんかでは無くなっていた。そうは言っても、最初のクールなキャラだって、口数が少なくて冗談なんて言わなかったから、周りから与えられたものだったじゃないか、そんな風にも思った。キャラだの本当の自分だの、文字にしてもなんだか恥ずかしいが、どうすれば、与えられたキャラや作っていたキャラではなくなれるのか。こんな風に与えられたり、自分で作った性格が"素の自分"というものを作っていくのだろうか?みんな同じなのか。「もしみんながそうだとしたら?」、そう考えると途端に不安な気持ちになっていく。それとも、"素の自分"というものがあったのなら、定着する前に消されてしまったのか。あまり良くない自分の頭で考えても、ただ不安が広がるだけだった。今思うと恥ずかしい思いをするのが怖くてプライドの高い、人を平気でからかうような子どもだった自分は自分ではない、と認めたくない気持ちもあったかもしれない。

さっき見た映画、「リズと青い鳥」に出てきた鎧塚みぞれにとっての傘木希美が、あんな友達が私の前にも現れていたら、もっと違っていただろうか。一人ぼっちでいたくないが為に、自分を作ったりなどしなくて済んだだろうか。「希美のような人に出会いたかった」

本気でそう思った。物語の途中、辛いことはあったが、みぞれが羨ましかった。

その時は、ヘッドホンをして曲を聴きながら、映画館から駅までの道をぼーっと歩いていたが、いつも聴いているある曲がいつものように流れ、いつもより頭に強く残った。

「新しい自分を見つけたいと願うなら 過去の事は燃やしてしまおうぜ 灰になるまで」(amazarashi/ワンルーム叙事詩 より)という歌詞だ。リズと青い鳥に全く関係がないが、その時まで、今までの自分はどうだったのか、元々はどうなるはずだったのか、過去のことばかりを考えてきた。だから後ろばかり見ず前を見ようぜ!という事を言いたい訳ではない。こうなってしまった今の自分が嫌なら、燃やしてしまおうぜ、と。昨日までしていた振る舞い方だって、無理に作った自分だったものだったのなら、無理に明日から消してしまえばいい、周りに変だと思われても、いいじゃないかと。

嫌でもやめられないことはたくさんあると思うが、性格なんて嫌ならやめてしまえばいいのだ。自分勝手な自分の期待にも、周りにの扱いにも応えなくていい。

少し嬉しい気持ちになって、そのフレーズを何度か頭の中で繰り返した。自分が許されているような気がして、少しだけ楽になれたのだ。

そして何もなくなった

ずっと更新しようとは思っていたんですが、頭が言うことを聞いてくれませんでした。

2つ書きたいことがあったのに、今はそれと全く違うことを書いています。計画通りに動くというのが本当に苦手なんだなと最近実感させられることが多いです。少し前まで、計画を立ててその通りに行動するのが得意な方だと本気で思っていました。 

妄想甚だしいですね。

ところで、明日までに提出の書類があるのに行き詰まってストップさせてしまいました。というかストップさせるためにこの記事を書いています。今日(昨日)の用事を済ませて15時くらいからずっと志望動機等を書こうとして調べたり考えたりしていたのですが、考えれば考えるほど気分が悪くなり、夕方になって眠ってしまいました。

実は、次回また地〇公〇員の試験を受けることになったのですが、特〇区と違って提出書類の中に志望動機ともう一つ質問に答えなくてはいけない欄があったのです。なんと締切二日前に気付きました。普通に考えたら面接の際に使うのかなと思うのですが、落ちた場合を考えると虚しくなりますね....。(まさか一次試験と一緒に使うなんてないですよね...?ただでさえ筆記試験があれなのにやめてください....)

ということで、明日(今日)までには考えなければいけないのですが、自分の中では一番なりたかった職業、そして一番志望動機に自信があったのに知らぬ間に全く自信がなくなっていました。

私が本気で思っている、「なぜなりたいのか?」については正直ありきたりで採用する側としてはこれでは弱いと判断されます。(これだけでは弱すぎますと多くのサイトに書いてありますし、自分でも普通に思いつくような埋もれてしまう答えだなと思います。)

しかし、埋もれてしまうような動機でも、適当に思いついたから書いているのではなく、私は本気でそう思っています。思っていますが、私だけじゃなく他の人もみんなそうなんだと思います。だからこそそれ以上の理由が必要になる、その為に色々と調べ、埋もれないような答えを考えようというのはわかります。しかし、その志望動機をより確かにする為の言葉のはずなのに、同時にとって付けたものになるような違和感を感じてしまうのです。(これは今までも感じていたことですが.....)

それでも、上手く書かなくてはいけないし、そうしなくては採用する側に認めてもらえないんだと思います。私にとってはそれがすごく難しい。ただ単に練習不足、能力不足なのもそうですが、思っていないことを頑張って捻り出す行為が物凄く苦痛だったりします。今これを読んでいる方は、「そんなの他の人だって同じだ甘えるな」と思われているかもしれません。そう言われると、これは甘えなのか..と落ち込んでしまいますが、正直に言うとそうは言われても辛いものは辛いです。メンタルの強さは人それぞれではないでしょうか。

話を戻しますが、私はそうやって「説得力のあるなりたい理由」を考えているうちに、ありきたりな理由だとしても、なりたいと強く思っていたあの気持ちは錯覚だったんじゃないか、ぱっと思いついた理由を補完する為のものだったんじゃないかと、何が何だかわからなくなってきてしまいました。今まで落ち続けてきたことも影響してるのだと思います。

そして、今回志望しているのは私の住んでいる自治体ではないので、理由として書けるようなことは全てがとって付けたものになります。理由を書いた紙にまるで穴が空いてるみたいです。

先ほども言ったように、とってつけたものでも説得力のある書き方をすることに全く自信がありません。あんなになりたかったはずのに、第一志望の場所ではないだけで、全く違う仕事に感じ、自分でも呆れるほどやる気が地の底です。今この状況になるまではっきりと気付きませんでした。きっとずっとわかっていたのに気付きたくなかったんです。能力も無いくせに選びたいものがそのたった1つしかないなんて、我が儘なんじゃないかと思っていたから。自分をそんな我が儘な人間だと思いたくなかったから。

 

ここまで読んで、だらだら言い訳をして、甘えてる、根性なし、思うだけで行動してない、我が儘、口だけの人間と思われた方はたくさんいるかもしれないですが、そう思われたとしてもきっと改善できないですと先に言っておきます。

とりあえず、見苦しくてもせめて残っている力の分だけは頑張ることが今の目標です。

さっさと〇ねと思われた方はすみません。なるべく痛くない方法を考えてTwitterのDMまでお願いします。

最後に、読みにくくなんの足しにもならない記事をここまで読んでくださり、ありがとうございました。

話題が前後してしまうので、この間の試験について記事を書くことはもうないと思いますが、難しくないと感じたにも関わらず勉強不足で爆死しました(自分の過去の点数と比べると悪くはなかったです)とだけ。

次回はもう1つの書きたかったことについて書きたいと思います。(多分)

どこまでできたら普通なのか。

就職活動を始めてから、初めてエントリーシートの提出が間に合わなかった。

今回のESには押印をする欄があったのだが、その印鑑を家に忘れてしまったのだ。というか、押印する欄があることを確認せず家を出てしまった。

書き上げた(正確には清書が少し残っていたが)のは20時半だ。私は大学の図書館にいた。

おそらく100円ショップにあるからと、書き上げた後に買いに行き、24時まで営業している郵便局に出しに行こうと考えていた。

書き終わった解放感に溢れ、生憎の雨でも私の心は晴れであった。

閉店20分前の店に入り、はやくESを送ってしまいたいと急ぐ気持ちを抑えながら印鑑を探す...............見つからない。ゆっくりと2、3度見返してみても、やはりそこに私の姓の印鑑は無かった。

ガーーーーーーーン

この姓なんてなかなか見ないぞ!なんていうものもあったのに...というか印鑑なんて使うのやめてしまえ!

もしかしたらと閉店ギリギリで駆け込んだ別の店舗でも見つからなかった。

そんなに珍しい姓でもないのになぁ.......

今だけ鈴木や佐々木になりたい。そう思いながら一瞬目を閉じた。

その時、突然光が私を包み込み──

なんてことは起きなかった。

あぁ、もう帰ろう。帰ってしまおう。そう決めて駅に向かっていたが、その間もどこかに売っている場所はないか考えていた。

そうだ、ドンキホーテだ。あそこならあるはず、と近くのドンキに電話をかけてみた。

「すみません、はんこってあります?」

「あー、自動で作ってくれる機械ならありますよ。」

(なんと自動でその場で作れるとは!)

「あ、わかりました。ありがとうございました~」

ということで、早速ドンキに向か....わなかった。私はドンキに向かわなかった。面倒くさくなったわけではない....わけでもないが、その印鑑は500円~らしかった。うーん500円。

実は今までの就職活動中、何十社も出したわけではないが、出した所は1ヶ所を除いてES落ちだった。(通った所は次の適性検査がボロボロで落ちてしまった。ESではなくここでたくさん落とすのだろう。)

人気そうな大手ばかり受けていたので、仕方ないかもしれないが、"どうせ落ちる"そんな言葉が頭の中にはいつもあった。

最初は、「どうせ落ちるけれど、出すだけ出してみよう」

それがいつの間にか、「どうせ出したって落ちる」 に変わっていた。

だから今回も、「500円かけて出したってどうせ落ちる」

そう思い、それを言い訳にして帰ることにした。

 

 

凄く悔しかった。泣きそうなほどに。

だったら500円で印鑑買って出せばいいじゃないか。

そうじゃない。

「出せばもしかしたら通ったかもしれない、しかし出さなければ絶対に通らない」 だから悔しいわけではないのだ。

ESを出すことさえできない、書くだけ書いて、提出してみることすらできない、500円払ってでも出そうと思うことが出来ない自分が悔しかった。もう、そんなやる気さえないのか。いや、もしかしたらこの業界に行きたいと思う気持ち自体そんなに強くなかったかもしれない?自分のことがわからない。じゃあ一体、公〇員試験がダメだったら何をすればいいんだ。何だったらやりたくなるのか。そして、落ちて選択肢が減って、落ちて減って。.....結局何もしたくない。なんてずっと考えて、頭の中は空っぽで。もうこのまま何もかもをやめて、やめたらどうなるだろうか。そうしてしまいたい気持ちが前に出るばかりだ。

最近、悩みがあるのだが、なかなか朝に起きられない。致命的なのは、目覚まし時計のアラーム音が聞こえないことだ。とうとう頭がおかしくなったのか?

どんどん何かが出来なくなっていく自分のダメさに危機感を感じていたところだった。やるべき事もギリギリの所まで先延ばし。そもそも今回の事だって、家を出る前に必要な物を確認しておけば、こんなことは起きなかったのだ。事前の確認さえするのが面倒になっていた。

今まで、せめて頑張らなきゃいけない時には頑張れていたはずの私は、頑張らなきゃいけない場面になっても頑張ることが出来なくなった。

というか、私が出来なかったことは、そんなに頑張るまでもない普通のことではないのか。

朝起きるなんて、社会に出たら普通にしなくてはいけない。このくらい出来なくて何が出来るのか。出来ない奴は「当たり前」に殺されるのか?

公〇員を目指しながら民間の会社の内定をとることも、大変だとは言われているけれど、自分じゃなくて他の人だったら、みんなだったらもっと上手くやってるんじゃないか。そう思わずにはいられない。

普通とは、どこまでやれたら普通なのだろう。せめて普通になりたい。平均になりたい。平均とはどこまでできることなのだろうか。一見、いつもみんながしているような当たり前のことでも、出来る人と出来ない人の数を出して欲しいとよく思う。自分はどこにいるのかを可視化して安心したいから。

実は、朝にきちんと起きられる人の方が少なかった.....!なんていう有り得なさそうなデータが取られないだろうか。

神様!起きられなくても生きていける世界だったらなぁ!

 

眠気に負けそうになりながら打っていたので、明日の午後になったら、後半部分がドカッと消えているかもしれません。

次回は、公〇員試験を受けてみた感想を書きたいと思います。多分。

はじめての

明日は、私のはじめての本気の本気の就職活動です。

今までもESなどをいくつか書いてきたのですが、明日は訳が違います。

ESでも面接でもないので、何なのかは気付く人は気付くと思いますが.....。

 

ということで、ゲロイン好きの私が自らゲロインになりそうなほど緊張しt.....(盛ってしまいました)

そこまではないにしても心臓のあたりがぐちゃぐちゃになって文字を打つ手も少し震えています。

f:id:buibui_bst:20180505200848j:image(ディオメディアさんの画展より、バスで吐く真咲ちゃん。)

 

社会に出るのが凄く怖い。

公〇員を目指すのは民間の会社に行くのが怖いという気持ちが強いのも1つの理由です。

これは甘えでしょうか?もちろん、公〇員の仕事がぬるいと思っている訳では決してありません。ただ、色々と考えると私にはこれしかないのではないか。という気がしています。今年で合格することが出来なかったとしても。

お、落ちてももう1年遊べるドン~!なんて思ってないんだからねっ

......。

仕事の事を何も知らないでそんなことを、と思う人もいるかもしれませんが、今は見逃してください。

 

 

たたかえ、平穏を手に入れる為に。

そして、"戦いたければ強くなれ!"

(ブレイブウィッチーズ第4話より。これが言いたかっただけでした´>ω∂`)