私には、傘木希美がいなかった。

私の前には、傘木希美は現れなかった。

これは今年の4月にリズと青い鳥を見た時の話だが、早速映画に全く関係の無い話をする。小さい頃の私は、極度の人見知りで、気弱で、自信がなく、失敗するのが極度に怖いという子どもだった。今もそういったところは変わらないのだと思う。友達と呼べる子はほとんどいなかった。同年代の子と何を話したらいいかわからなかった。得意なことは一切なく、鉄棒、鬼ごっこ、お絵描き、かけっこ、おままごと、なわとび、同年代の子たちがする遊びは全てと言っていいほど能力的に苦手だった。授業参観や運動会が大嫌いだった。友達が少なくて一人ぼっちの自分を見られたくないから。たまにクラスの子と話せても、家族の前では見せない自分の姿を見られるのが恥ずかしかったから。競走は毎年ビリだったから。クラスの子達に親を見られて何かを言われたり、目立つのが嫌だったから。幼稚園の運動会では、準備体操を音楽にのせて行っていたが、幼稚な音楽にのって準備体操をしている姿を家族に見られるのが恥ずかしく、ほとんど体を動かさなかった。やらない方が目立つのは気付いていたのかいなかったのか。

小学校に上がる時、幼稚園で少し仲良かった子が一緒の学校に入る予定だったが、家の都合でそれがなくなってしまった。誰1人も知らないまま小学校に通うことになった。友達はそれなりにできたが、魔法にかけられたように突然活発な子どもになった訳ではない。、何故かは覚えていないが、気付けば女子よりも男子と仲良くしていた。女の子の遊びや会話をするのが苦手だったからかもしれない。失敗したり、こいつは能力が低い奴なんだと思われるのが極度に怖いという性格は全く変わらず、勉強についても何に関しても、わからない・できない事がバレたくないという気持ちから口数が少なくなりクールなキャラというのが定着していた。恥ずかしさから、冗談も決して言わなかった。何故か男子と一緒に女子をよくからかっていた。今思えば心無い事をたくさん言っていたと思う。最低な子どもだった。

小4以降、女子グループと男子グループに別れるような年頃になったので、私も男子グループに混ざることができなくなり、女子の友達が増えていったが、基本的な部分は変わらなかった。

中学に上がった時も、友達は1人もいなかった。小学生の時に引っ越した際、友達が多く通う中学は学区域外になってしまい、学区域外からの抽選となったのだが、運悪く落ちてしまった。あとから、抽選に落ちる確率は低く、次の年は1人も落ちた人がいなかった事を知った。やはり薄が幸いのである。ちなみに、ずっと不登校だった人は抽選に落ちなかったらしい。失礼だが、少し笑えてしまう。中学に入ってもほとんど何も変わることがなかったが、1年くらい経ったあと、所属していた部活が知らぬ間に学年で有名になっていた。変なやつらの集まりだと。変なやつらと言ってもいじめ的なものではなく、陽キャと呼ばれる方々のことを言っていて、私は当たり前に陽キャではないのだが、その陽キャ部員達とも交流があったので、何故か名前が色々な人に知られていた。

その頃からだ、みんなが周りにたくさん集まってきて楽しそうにしている人が、とてつもなく羨ましくなったのは。私にも同じ事ができるのかな、と思ってしまったのは。

それからは、知り合い程度の人相手には無理だったが、仲のいい友達のといる時は"キャラ"を作るようになった。ふざけたり、冗談も言うようになって、みんなに笑ってもらえるようなキャラを必死に演じた。

高校に上がった時は、中学の友達が1人だけいた。その友達とは今まで同じクラスになったことがなく、ふざけている自分を見られた事がなかったのと、1人友達がいるのなら最初から無理に頑張る必要はないと思ったので、"キャラ作りを頑張る"ことはしなかった。失敗して笑われるのが怖いから、わからない事やできないことを隠す、プライドの高い自分のままだった。

2年生になって、友達とも離れ、そして全く友達が出来なかった。一人ぼっちだった。最初のお昼ご飯は一緒に食べる人がおらず、「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」のもこっちのように"ぼっち飯"ができる場所もなかったので、机に突っ伏して具合が悪いフリをした。これは中学3年の時、同じく友達ができなかった時に使ったワザだ。その時は何人かの友達()が、私のことを心配して声をかけてきた記憶がある。なんとも言えない気持ちになった。次の日は流石に同じ手は使えず、中学の頃からの友達に声をかけたら、「クラスの子と一緒にいるから無理」と断られた。最初はとてつもないショックを受けていたが、向こうからすると他クラスの友達を友達に紹介して許可を得なければならないので、そりゃそうか、と仕方なく戻ることにした。しかし、一緒に食べる人がいない。どうしよう。便所飯をするか?と本気で考えもしたが、1年生の頃の別の友達に声をかけてみることにした。そこに行くまでに、あまりの行き場のなさに涙目になっていた。以前、その子が別のグループに"ハブ"られた時に、私のいるグループに迎えたことがある。だからその子は断る事が出来なかったはずで、数人の友達と一緒に食べていたようだったが、私を受け入れた。数週間後か1ヶ月程度お昼ご飯の時はそのグループに入れてもらっていた。居心地は悪かった。なんとか打ち解けられないかと思ったが、私に気を遣うような雰囲気が毎回漂い、本気で仲良くしようとも思っていないようだった。ほとんど喋らない日が続いた。途中からは申し訳なさから、お金はあまり持っていなかったが、みんなで食べる用の差し入れのお菓子を持っていくようになった。ご機嫌をとる為にお金を使って、一体自分は何してるんだろう。そんな気持ちになった。その後、ある授業でクラスの子に話しかけられ、お昼もそこで食べられることになった。みんなが私とちゃんと話をしようとしてくれて、とても嬉しい気持ちになった。もう絶対一人ぼっちにはなりたくないと思った。

そんな気持ちからか、また"キャラを作る"ことを始めた。私の周りに集まってくれたら、もうあんなに辛い思いはしなくて済む。だから笑ってもらいたかった。それしか思いつかなかった。それしか出来なかった。中学の時より、笑って貰えることが増えた。そうしていたら、"いじられキャラ"と呼ばれているような立ち位置になっていた。そこから"いじられ"る事が増え、嫌な思いもするようになった。でも、戻ることは出来なかった。それが定着した後は、戻ることなど許されなかった。いつの間にか、頑張りなどしなくても、そんなキャラが自然に出るようになっていた。「もうこんな扱いをされたくない」「疲れた」「他の人と同じように普通に接して欲しい」心の中ではそんな気持ちがどんどん大きくなっていったが、それ以前はどう振舞っていたかのか思い出せなくなっていた。口数が少なくて、冗談も言わず言われない、当たり前にいじられることもないクールなキャラとして扱われていた、そんなことしか分からなかった。思い出して、そのように振舞おうとしても、頑張って作って演じていたはずのキャラが出てしまう。もはや"キャラを演じている"状態なんかでは無くなっていた。そうは言っても、最初のクールなキャラだって、口数が少なくて冗談なんて言わなかったから、周りから与えられたものだったじゃないか、そんな風にも思った。キャラだの本当の自分だの、文字にしてもなんだか恥ずかしいが、どうすれば、与えられたキャラや作っていたキャラではなくなれるのか。こんな風に与えられたり、自分で作った性格が"素の自分"というものを作っていくのだろうか?みんな同じなのか。「もしみんながそうだとしたら?」、そう考えると途端に不安な気持ちになっていく。それとも、"素の自分"というものがあったのなら、定着する前に消されてしまったのか。あまり良くない自分の頭で考えても、ただ不安が広がるだけだった。今思うと恥ずかしい思いをするのが怖くてプライドの高い、人を平気でからかうような子どもだった自分は自分ではない、と認めたくない気持ちもあったかもしれない。

さっき見た映画、「リズと青い鳥」に出てきた鎧塚みぞれにとっての傘木希美が、あんな友達が私の前にも現れていたら、もっと違っていただろうか。一人ぼっちでいたくないが為に、自分を作ったりなどしなくて済んだだろうか。「希美のような人に出会いたかった」

本気でそう思った。物語の途中、辛いことはあったが、みぞれが羨ましかった。

その時は、ヘッドホンをして曲を聴きながら、映画館から駅までの道をぼーっと歩いていたが、いつも聴いているある曲がいつものように流れ、いつもより頭に強く残った。

「新しい自分を見つけたいと願うなら 過去の事は燃やしてしまおうぜ 灰になるまで」(amazarashi/ワンルーム叙事詩 より)という歌詞だ。リズと青い鳥に全く関係がないが、その時まで、今までの自分はどうだったのか、元々はどうなるはずだったのか、過去のことばかりを考えてきた。だから後ろばかり見ず前を見ようぜ!という事を言いたい訳ではない。こうなってしまった今の自分が嫌なら、燃やしてしまおうぜ、と。昨日までしていた振る舞い方だって、無理に作った自分だったものだったのなら、無理に明日から消してしまえばいい、周りに変だと思われても、いいじゃないかと。

嫌でもやめられないことはたくさんあると思うが、性格なんて嫌ならやめてしまえばいいのだ。自分勝手な自分の期待にも、周りにの扱いにも応えなくていい。

少し嬉しい気持ちになって、そのフレーズを何度か頭の中で繰り返した。自分が許されているような気がして、少しだけ楽になれたのだ。