人間関係には、当たり前の差別が存在する

社会では、"みんな平等"にしよう、そうなっている。そうしようとしている。男女平等、どの人種も平等、等。男性と女性で明確な理由も無い区別(差別)により、扱いが違うのは理不尽だし、特定の人種が低く扱われるのも、おかしい。実際に差別をする人間以外はみんなそう思うだろう。差別のない、平等な世の中になって欲しい、私もそう思う。

 

ふと思う。日常の人間関係ではどうだろうか?私達は、家族・恋人・友達・知り合い・他人というように人を分けて考えている。(他にも先輩や後輩、仲間などもっと細かい分類はあるが)

場合にもよるだろうが、多くの人が家族や恋人を友達以上に特別に思っているだろう。そして他の人よりも優しくしたり、他の人よりも優先し、特別な扱いをする。いたって普通のことだ。これも家庭によるだろうが、家族とは長い間一緒に過ごし、自分に良くしてくれる血の繋がった人達である。また、恋人とは自分と共にいてくれて優しくしてくれるような存在だろう。特別な繋がりなのだから、このような人達を特別視するのは当たり前だ。

では、差がもっと曖昧である場合はどうだろうか?

たとえば、恋人は自分にとって、良くしてくれる特別な存在だが、友達も同じくらいに自分のことを思ってくれている場合は?どちらをより大切にし、どちらを優先する?これも人によるのかもしれないが、恋人を優先したい、そう思う人の方が多いのだろう。その友達が自分のことをとても大事に思おうが、恋人の方には、恋愛感情というものがあるのだから。恋愛感情は友人への"好き"よりも強いものなのだから当たり前だ。.....友人の好きと恋人の好きは別?どちらも大切?

でも大抵の人が順位はつけているはずだ。優先順位なんてどちらも同じだ、としている人もいるかもしれないが、多くは前者だろうという前提で話を進める。世間一般だって、恋人優先して当たり前、そんな認識がある。

人は"好き"の度合いで人を分ける。どちらも同じように自分を大事に思い、良くしてくれていようが、だ。また、「好きな人」と「それ以外」でも「恋人」と「友達」のように扱いの差がある。こちらの場合は、好きな人が自分を大事にしていなくても、人はその人を大切にしたがる、優先したがる。好きだから、好きになって欲しいから、これも普通のことだ。

これは、友達という括りの中でも言えることだ。扱われ方は同じ、もしくは違いがあっても、自分も全くその通りの扱い方を返す訳では無い。もちろん、良くしてもらっているのならば自分も良くしたい、そういう気持ちはあるだろうが、それでも差は生まれる。印象が良い、好きだと思った方に目がいってしまう。仲良くしたい、良く思われたいと思う。

人間はそういうものだ。自然に差別をする。それが当たり前になっている。極端なことを言うと、いじめはこの差別が悪い方向に働いたものではないか。

 

差別と呼ぶなんてお前の頭がおかしい、当たり前の感情だ、そう思うかもしれない。私も同じように人を分けてしまっている。けれど、私は当たり前として片付けることは出来ない。気持ちでは自然にそうしてしまうのに、頭では理解ができない。本当はそんなふうに分けたくなんかない。

みんな平等に優しくする人には、特別に思ってくれる人は現れない。そんな言葉を何度か聞いたことがある。確かにその通りだとは思う。私も恋人や友達に特別に扱われたい、そういう気持ちはある。だけど、差をつけることを拒もうとする自分もいる。

ここまで書いたが、何故自分がそう思ってしまうのかはわからない。ただ、抵抗があって、他の人たちの振る舞いにまで少しの嫌悪を感じてしまうことが少なくない。決して多くの批判がしたいわけではない。

友人や、特定の誰かから愛されるという実感を感じる事が出来ていないからだろうか。偽善者だからだろうか。未熟だからだろうか。それとも頭がおかしいのだろうか。

頭がおかしいのであればそれでいい。本当は当たり前に感じられるようになりたい。こたえがあるのなら、教えて欲しい。皆と同じになりたい。そう思うことばかりだ。