無題1

どうだって良かったはずだった。もう少しだけ子どもだった頃は。見たいものをみて、読みたいものを読んで、関わりたい人と関わった。時間は自分の為、使いたい人の為に使った。それで良かった。それだけで良かった。良いかダメかなんて事を考えることさえなかった。それで成立していた。わざわざ強く望む必要もなかった。友達とか才能とか愛とか。何かを、誰かを羨んで恨むことも無かった。きっとあれが幸せだった。悩みもイヤなこともあったけれど、例えば、人が、周りの世界のことが怖くて怯えながら歩くことはなかった。いつからだ。どうでもいいことがどうでも良くなくなったのは。理由になんて考えたくなかった。

結局、幸せな状態なんて、そのときには気づかない。自覚できる一瞬、少しの間の気持、誰もが羨むようなものだったならそうでないかもしれない。けれど、恒常的な幸せは、今の自分が過去の自分を、未来の自分が今の自分を羨ましく思う、そこからだけ、見つけられるようなものに思える。だから、幸せだなんて特に感じてない、気付いてなんかないしだからこそ認めもしないんだろうけど、君は幸せだと。

わからないなんて、あんまりじゃないか。

 

 

幸せとは何なのか自体を語りたいわけではなかったので、タイトルは放り投げました。

最近、わるくちと不満の最後に、ばか。とつけるのが自分のなかで流行っているんですが、伝える相手に向けて言っているような気分になれるので、ほんの少しだけ心が晴れます。すべてそういう気持ちです。