あの日、あの時の

中学~高校生の頃、「子どもの頃~」という言い方をたまにしていました。意味不明かもしれませんが、そう言ったあと、ある時「今も子どもだし、そんなに生きていないのになんか少し恥ずかしいな...」と思ったことがあります。

今も「子どもの頃~」という言い方をする時になんだか違和感を感じてしまうのですが、そのあと、「もう大人だった.......いつのまに...」と思うようになりました。いつのまに.....。

という事で、"子どもの頃"にちなんだ話をしたいと思います。

 

 

 

 

 

あの日、放課後、友達を傷付けた。今の私は使わない使えない言葉であり、使ってはいけない言葉だったが、当時は口に出すことに抵抗がなかった。周りの子は流石に言い過ぎだという雰囲気だったが、それ以上何も言ってこなかった。だから、良くない言葉を使った事は自覚していたが、後悔も反省もほとんどしていなかった。 それでも誰かに嫌われるのは嫌だ。数日後のその子の様子はいつも通りだったから、少しほっとした。自分はちょっと強く言っただけで悪いことなんてしていない。そうだ。でも、なんとなく心に引っかかったまま何年も経った。あの時のような言葉は、簡単に言ってはいけないし、言う訳がない。自然とそう思えるようになってから、時々あの日を思い出すようになった。「あそこまで強く言う必要はなかった。」あの日の自分の行動が、自分を縛る。人に優しくすると、あの日を思い出す。あんな事を言った自分が何食わぬ顔で、人に優しくするのは当たり前かのような態度をとっている。生まれてから今までずっと、酷い言葉を誰かに投げつけた事なんて1度もないかのように。「いじめをしたり、酷い言葉を言う人間は最低の人間だ。」そういう言葉を見て、純粋な気持ちで「そうだ、その通りだ」と口にする事は、多分私にはできない。自分も罪を犯したくせに、それを隠して他の人間を叩いてるようなものだ、そんなような罪悪感が浮き出てくる。誰にバレる訳でもないのに、怖い。だから何も言えない。優しい人間のように振る舞う自分はニセモノみたいだ。酷い言葉は絶対に言わないような顔をして。『聲の形』という映画を見た時、私は主人公を責める気持ちになることが出来なかった。

それからまた何年か経って、以前傷つけてしまったその子に、ある人の事を尋ねたことがあった。その時、その子は「そんなことがあったんだ。でも、(私が尋ねた事については)知らないなぁ。」という言葉と共に、心が痛むほどの優しい言葉をかけてくれた。

(私は君にあんな事を言ったのに、君はそんな優しい事を言ってくれるのか。)

本心ではなく、落ち込む私をなだめる言葉だったという可能性もあるけれど。

そのまたしばらくしたあと、その子が「知らないなぁ。」と言ったことが嘘であるかもしれない事がわかった。本当は隠していたのか....そう思い、瞬間、酷く気分が悪くなった。同時にあの日の事を思い出した。酷く後悔をした。怖くなった。あんな事を言わなければ。あの日には戻れない。 それから、今まで以上に、あの日に縛られるようになった。

誰かに酷い事を言ってしまった、そんな経験は多くの人にあるものなのかもしれない。だから、そんなにずっと気にしすぎる事はない。そう思おうとしたこともある。何故、こんなに縛られているのか、そう考えたこともある。

それから、思い出していった。それ以外にも、散々人のことをバカにしたり、今では考えられない態度をずっと前にとっていたことがある。いじめまがいの事だと気付かないまま、他の人と同じように笑って、遠ざけていたことがある。他にももっと、あるかもしれない。

そんな私はもう、「優しい人」にはなれない。正義のキャラクターに憧れたりもしていたが、そんな風にはなれない。

たとえ誰かが許しても、そんな自分を認める事はできない。

同じような経験が多くの人にあったから気にするな、なんて、私には無理だった。相手の中にそれが残り続けているかどうかはわからない。けれど、言葉や行動は、自分の中に残り、積み上がっていく。私にとってはそういうものなのだ。