どこまでできたら普通なのか。

就職活動を始めてから、初めてエントリーシートの提出が間に合わなかった。

今回のESには押印をする欄があったのだが、その印鑑を家に忘れてしまったのだ。というか、押印する欄があることを確認せず家を出てしまった。

書き上げた(正確には清書が少し残っていたが)のは20時半だ。私は大学の図書館にいた。

おそらく100円ショップにあるからと、書き上げた後に買いに行き、24時まで営業している郵便局に出しに行こうと考えていた。

書き終わった解放感に溢れ、生憎の雨でも私の心は晴れであった。

閉店20分前の店に入り、はやくESを送ってしまいたいと急ぐ気持ちを抑えながら印鑑を探す...............見つからない。ゆっくりと2、3度見返してみても、やはりそこに私の姓の印鑑は無かった。

ガーーーーーーーン

この姓なんてなかなか見ないぞ!なんていうものもあったのに...というか印鑑なんて使うのやめてしまえ!

もしかしたらと閉店ギリギリで駆け込んだ別の店舗でも見つからなかった。

そんなに珍しい姓でもないのになぁ.......

今だけ鈴木や佐々木になりたい。そう思いながら一瞬目を閉じた。

その時、突然光が私を包み込み──

なんてことは起きなかった。

あぁ、もう帰ろう。帰ってしまおう。そう決めて駅に向かっていたが、その間もどこかに売っている場所はないか考えていた。

そうだ、ドンキホーテだ。あそこならあるはず、と近くのドンキに電話をかけてみた。

「すみません、はんこってあります?」

「あー、自動で作ってくれる機械ならありますよ。」

(なんと自動でその場で作れるとは!)

「あ、わかりました。ありがとうございました~」

ということで、早速ドンキに向か....わなかった。私はドンキに向かわなかった。面倒くさくなったわけではない....わけでもないが、その印鑑は500円~らしかった。うーん500円。

実は今までの就職活動中、何十社も出したわけではないが、出した所は1ヶ所を除いてES落ちだった。(通った所は次の適性検査がボロボロで落ちてしまった。ESではなくここでたくさん落とすのだろう。)

人気そうな大手ばかり受けていたので、仕方ないかもしれないが、"どうせ落ちる"そんな言葉が頭の中にはいつもあった。

最初は、「どうせ落ちるけれど、出すだけ出してみよう」

それがいつの間にか、「どうせ出したって落ちる」 に変わっていた。

だから今回も、「500円かけて出したってどうせ落ちる」

そう思い、それを言い訳にして帰ることにした。

 

 

凄く悔しかった。泣きそうなほどに。

だったら500円で印鑑買って出せばいいじゃないか。

そうじゃない。

「出せばもしかしたら通ったかもしれない、しかし出さなければ絶対に通らない」 だから悔しいわけではないのだ。

ESを出すことさえできない、書くだけ書いて、提出してみることすらできない、500円払ってでも出そうと思うことが出来ない自分が悔しかった。もう、そんなやる気さえないのか。いや、もしかしたらこの業界に行きたいと思う気持ち自体そんなに強くなかったかもしれない?自分のことがわからない。じゃあ一体、公〇員試験がダメだったら何をすればいいんだ。何だったらやりたくなるのか。そして、落ちて選択肢が減って、落ちて減って。.....結局何もしたくない。なんてずっと考えて、頭の中は空っぽで。もうこのまま何もかもをやめて、やめたらどうなるだろうか。そうしてしまいたい気持ちが前に出るばかりだ。

最近、悩みがあるのだが、なかなか朝に起きられない。致命的なのは、目覚まし時計のアラーム音が聞こえないことだ。とうとう頭がおかしくなったのか?

どんどん何かが出来なくなっていく自分のダメさに危機感を感じていたところだった。やるべき事もギリギリの所まで先延ばし。そもそも今回の事だって、家を出る前に必要な物を確認しておけば、こんなことは起きなかったのだ。事前の確認さえするのが面倒になっていた。

今まで、せめて頑張らなきゃいけない時には頑張れていたはずの私は、頑張らなきゃいけない場面になっても頑張ることが出来なくなった。

というか、私が出来なかったことは、そんなに頑張るまでもない普通のことではないのか。

朝起きるなんて、社会に出たら普通にしなくてはいけない。このくらい出来なくて何が出来るのか。出来ない奴は「当たり前」に殺されるのか?

公〇員を目指しながら民間の会社の内定をとることも、大変だとは言われているけれど、自分じゃなくて他の人だったら、みんなだったらもっと上手くやってるんじゃないか。そう思わずにはいられない。

普通とは、どこまでやれたら普通なのだろう。せめて普通になりたい。平均になりたい。平均とはどこまでできることなのだろうか。一見、いつもみんながしているような当たり前のことでも、出来る人と出来ない人の数を出して欲しいとよく思う。自分はどこにいるのかを可視化して安心したいから。

実は、朝にきちんと起きられる人の方が少なかった.....!なんていう有り得なさそうなデータが取られないだろうか。

神様!起きられなくても生きていける世界だったらなぁ!

 

眠気に負けそうになりながら打っていたので、明日の午後になったら、後半部分がドカッと消えているかもしれません。

次回は、公〇員試験を受けてみた感想を書きたいと思います。多分。